コトノハマニア

言葉を紡いで生きていく

「怒るときと許すとき」

女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらせている
庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も
今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ

噴火して 裁いたあとというものは
山姥のようにそくそくと寂しいので
今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう
自分の傷あとにはまやかしの薬を
ふんだんに塗って
  これは断じて経済の問題なんかじゃない

女たちは長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚き火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう?

女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
ちっぽけな自分の巣と
蜂の巣をつついたような世界の間を
行ったり来たりしながら
怒るときと許すときのタイミングが
うまく計れないことについて
まったく途方にくれていた
それを教えてくれるのは
物わかりのいい伯母様でも
深遠な本でも
黴の生えた歴史でもない
たったひとつわかっているのは
自分でそれを発見しなければならない
ということだった

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押し入れの整理をしていたら出てきた一片の紙にあった詩。作者不明。
私にはこんな経験まったくなくて、
いま読むと、どこに共感したのだろうと思うのだけれど、
言葉としての力強さとか、深さとかに、いまもやっぱり感動しているな。
谷川俊太郎さんっぽい気もするが、
作者の名がないところを見ると何かの広告コピーかもしれない。
だったらすごい。
とっておくわたしもすごい。

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と思ってネットで調べたら、茨木のり子さんの詩でした。
そっか!
詩そのものはまったく忘れてしまったけど、
別の詩でもこの人のに感動した記憶があるわ。
メモメモ。

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