コトノハマニア

言葉を紡いで生きていく

久しぶりに雑誌を読む

家に帰っても中途半端にしか時間がないので、ガクシャンプーのあいだ、近くの高輪図書館へ。iPhone活用本を探したが貸出中だったので、雑誌コーナーへ行き、久しぶりに雑誌を読んだ。

まず『ビジネスアスキー』とか『日経トレンディ』とか。出産以来まともに情報を仕入れていないので、デジタル関係は本当に浦島太郎状態だ。なるほど「クラウド」ね、「アンドロイド」ね。

続いて「自己肯定感」という見出しが目について『児童心理』。

仕事でしか付き合ったことがない人たち、人をうわべでしか見られない人には私はかなりの自信家に思われるようなのだが、実は恐ろしく自己否定の人だ。このブログにも、あまり精神状態がよくないときに、自分なんかこの世に生きている意味がない、誰にも必要となんかされていない、というような内容を何度も書き込んでいる。

涙で文字がにじみ途中から読めなくなったのでパラパラとしか読んでないけど、以下エッセンス。

常に他人と比較されながら育った子は、親から「部分」でしか判断されず、まるごとを受け入れられるという経験をしていない。なぜなら成績がよい、スポーツができるなどの評価対象は子どものごく一部分で、人間まるごとを見ていれば、比べることなどできるはずはないからだ。彼らは比較されることによって、おまえはダメなやつだ、おまえには価値がないというメッセージを与え続けられ、「傷つきやすい」という地雷を埋め込まれて育つことになる、と。

今さらだけど、突き詰めて考えることを避けてきたテーマだからなぁ。買って読んでみるか。

しかし「比較」は本当に罪だ。でも弟とか妹とか第2子以降のほうが、常に上の子と比べられて育つような気がするけどなぁ。あ、でも第2子以降のほうが兄姉が緩和剤になって親の言動の影響をダイレクトに受けずに済むわけね。うまくできてるな・・・。あっくんみたいに母親から愛情を受けられなくても、その分父と兄の愛情をたっぷり受けられたりね。それと、あくまで「他人と」比べるのがいけないのか。

児童心理