ライター奥山貴宏さん。彼の死から、もう10年が経とうとしてるんですね。合掌。
October 29, 2004 12:00 AM
本を出すということ 下
(October 26よりつづく)
他にも本を出すまでにはいくつもの困難がある。雑誌ベースでライターをしている人間は通常何冊かの雑誌を掛け持ちで仕事している。パソコンに向かって原稿を書いていればいいという訳にはいかず、打ち合わせや取材などでそれなりに予定が埋まってしまう。そこそこの収入を得るためにはそれなりに働かなくてはいけない。本を出すためには当然まとまった量の文章が必要なのだが、そのように日々の仕事に追われているとなかなか書く余裕がない。何しろ、コックが休みの気分転換に料理を作るようなものだからだ。ライターだって、休みの時ぐらいは文章以外のことを考えたいと思うのが人情だ。
出版するために小説を書くとしよう。本一冊分の文章を書くのはそれなりに時間と労力がかかり、労働コストに換算すると相当な額に達する。でも、その小説なり文章が出版されるという保証は全くないのだ。仕事を断ったりプライベートを犠牲にしながら一生懸命小説を書き上げたとしても、それを編集者と出版社が商品になると思わなければ出版されることはない。書き終えたことに対する達成感は得られるかもしれないが、商品にならなかったとすれば、それはやはり「単なる趣味」の世界だ。出版されるあてのない小説を書いているシロウトなんていくらでもいるだろう。そういった人達とプロとを分ける唯一の違いは「書いた文章が商品になるか」でしかない。商品にならない文章をいくら書いたところで、それはマスターベーションにしかならない。
それらの困難を乗り越えて小説を書き上げたとしても、無名の新人の作品を簡単に出版してくる所など無い。新人賞などを取ったり何らかの方法で話題を作らないと、相手にすらされないだろう。作品として完成度が高かったとしても、編集者が読んでくれるとは限らない。
文章の仕事に関わっているのだから本を出すチャンスなんて多そうに思われるかもしれないが、実際に自分の著者名を冠した本が出版されるまでには相当困難な道のりがあるということが分かってもらえただろうか。
それぐらい本を出すということは特別だ。何も本を出したからって、マンションが買えたり、タレントの友達ができたり、赤絨毯の上を歩いたりできる訳ではない。テレビや新聞に出て一時的に注目度が高まったけれども、生活は本を出す前も後もほとんど変わっていない。
でも、意識はまったく変わった。極端ないい方をすれば、本を出す前は自分の人生に対してだけでなく文章を書く人間として大いに未練があった。病気で死ぬことは仕方のないことだとしても、生涯の仕事として文章を書くことを選んだのに自分の本を一冊も出すことなくこの世を去ることになるとは! 死ぬという事実に対する恐怖や悲しみより、その胸にわき起こってくる無念さの方が強かった。
しかし、本を出した後はもう死んでもかまわないと思った。自分が死んだとしても、確実に本は残る。ヒトラーみたいな独裁者が出てきて焚書にしたとしても、レジスタンスの誰かがオレの本を持って逃げてくれるかもしれない。
では、果たしてオレが病気にならならずに通常のライターのまま生活をしていたとして、近い将来本を出版できていたのだろうか。正直言って、大いに疑問だ。理由は先に挙げたとおりだ。ライターとして喰っていくことはできたとしても、本を出版している、それ以前にまとまった小説なり文章を書いている自分が想像できない。自転車操業の様な生活を送り、毎月の家賃を払うのがやっとという感じになっていると思う。
だから、ある意味、病気になったから本を出すチャンスが回って来たのだとも言える。
本を出す前は「本なんか出さなくてもいいから、健康な身体で長生きしたい」と考えていた。しかし、本を出した後は「死んでもいいから、本を出したい」という考えに変わった。
講演会などでよく話していたたとえ話だ。自分の目の前に悪魔が現れて取引を持ちかける。「100歳までライターとして人生は全うできるけれども一生本を出せないのと、30過ぎで命を失うが本を出して後世にある程度名を残せるのとどちらがいい?」これまでのオレは当然前者を選んだ、選びたかった。でも、今では負け惜しみ的にいうのではなく、健康だったとしても後者を選んだかもしれない。
文章を書く人間にとってはそれぐらい本を出すということは魅力的で大事なことだ。麻薬的ですらある。自分は気づかないうちに悪魔と取引してしまったいたのかもしれない。でも、あまり後悔はしていない。悪魔は約束通り本を出させてくれたからだ。今度はオレが契約した約束を守る番なのだろう。悲しいけれども。
父親は上京した時点で400枚ぐらいの小説を書き上げていた。内容や出来不出来についてはここで言及しないけれども、仕事をしながらそれだけのまとまった文章を書き上げるのは立派なことだと思う。しかし、父親を冒頭のようなセリフで刺激しすぎたせいか、彼はその小説を自費出版するという。しかも、そのコストはオレが「ガン漂流」で得た印税よりも高いのだ! ある種究極的なマスターベーションといっていいと思うのだが、大の大人が自分で稼いだお金を何に使おうが自由である。
何も言うまい。
※引用おわり