コトノハマニア

言葉を紡いで生きていく

一周忌によせる追悼文「あるボスの死」

根岸淳。半年の闘病生活の末、2006年6月12日、食道癌のため永眠。享年59歳。

2006年元旦、根岸さんとセックスする夢を見た。ふだんの言動からして、相当自分勝手な行為をする人なのではと想像していたが、夢の中での彼は思いの外ひたむきで可愛かった。何故こんなことを覚えているかと言うと、目覚めた時、とても驚いたからだ。「そうか、私たちってこんなふうになってもおかしくなかったのか!」。彼の死後、私があまりにもその死を嘆くので、中にはその関係を邪推する人もいるようだが、これだけは最初に断っておく。私はこれまで、根岸さんに対して特別な感情を抱いたことは一度もない。

1994年初夏、当時専業主婦だった私のもとに一本の電話がかかってきた。以前勤めていた会社の先輩から。「いま何やってんの? 知り合いの社長がアルバイトの女の子を探しているんだけど」。

翌日には一緒に面接に行った。ニューヨークへ語学留学するために近々退職予定の女性に代わる人を探しているのだという。当然だが後任をすぐに決めたい彼女、私のことを仕切りに持ち上げた。根岸さんは、「おでこが可愛いな」と照れくさそうにひとことだけ答えた。

全身黒でまとめたコーディネート。贅肉のかけらもない体型に坊主頭。一見強面だが、海の男らしく、日に焼けた顔が笑うと皺くちゃになる。威勢が良く、気が短い。典型的な東京下町の男だ。根岸さんの印象は悪くなかったし、「できる人なんだろうな」と直感したが、一男性としては、私が最も苦手とするタイプだった。

その日に採用が決まり、初めて出社した夜。四谷荒木町のちゃんこ屋で私の歓迎会が開かれた。隠すつもりは無かったので、私は今の自分の状況を正直に根岸さんに話した。“自分は結婚しているが、実は他に好きな男性がいる。いずれは今の旦那と別れてその人と一緒になるつもりだ”と。

彼女が渡米した後、私と根岸さんのふたりだけの日々が始まった。もちろん忙しければ残業もするが、基本10時-18時の勤務である。終業時刻が近づくと毎日「イズミ、ビール買ってこい!」といつも酒屋に走らされた。彼が他の人とアポイントが入っている日以外は、毎晩必ずふたりで飲んだ。その後、飲食店で御馳走になることも多かった。

せっかちな根岸さんは、すぐに私の恋人(現在のダー)に会いたがった。初めて紹介した夜、根岸さんは「おまえは彼に惚れてるな・・・」としみじみ言った。「そうですかねぇ?」とはぐらかすと、「目を見ればわかる! オレを見るのとはまったく違う!」と真顔で答えた。私は「この人は世界中の女が全員自分に惚れると思ってるのかしら」とちょっと呆れた。以降、酔うとすぐに「あいつを呼べ!」が始まった。仕事中のダーを何度酒場まで呼び出したかわからない。根岸さんは、私とセットでダーを可愛がってくれた。「あいつも酒が飲めたらなぁ」が口癖だった。

間もなく私の離婚が成立。一足先に独身となったダーは現事務所を住居としていたので、私は一人暮らしのための部屋を奥沢に借り、そこから通勤した。

相変わらず、平日夜は根岸さんとビールを飲み続けた。飲みながら、色々な話をした。酒の席では無礼講を好む人だったので、私も言いたい放題。特に女性関係については、「だから駄目なんですよ!」「女の気持ちを全然わかってない!」「わがまますぎ!」とけちょんけちょんに言った。根岸さんはその度に頭をかいて嬉しそうに笑っていた。

ある夜、互いに缶ビールを5本くらい開けてかなり酔っぱらったとき、根岸さんは突然「おまえの子供時代はどうだった?」と聞いてきた。人は幼少時を思い出すとき、明るく感じるか、暗く感じるか、ふたつに大別されるのだそうだ。私が答えるより先に彼は「オレは真っ暗だ」と言って自分の生い立ちを話し始めた。うかつには書けない悲惨な経験を子供時代の彼はしていた。「これは今まで誰にも言ったことがない」と泣いた。

「去る者は追わず、来る者は拒まず」を信条とする人だった。男気があるので特に男性の信奉者が多く、みな子分のように根岸さんにぺこぺこしていた。ときにはどこから見ても変なヤツがくっついて来ることもあったが、そんな相手にも私が不思議に思うくらい気分よく接していた。

4月から私はダーの事務所を手伝うことになっていた。「オレはお前に辞めて欲しくないけど、お前が彼のところで働くことに決めているならしょうがない」と根岸さんは言った。入社から7カ月、私の体重はきっかり7kg増えていた。

その後、根岸さんには妹までお世話になった。妹が勤めていたこともあったが、当然、私が辞めても交流は続いた。イベントが好きな人だったので、会社では盛大な飲み会が定期的に開かれた。北海道からズワイガニを取り寄せたカニパーティや花見などのお誘いがあるたび、ダーと一緒に参加した。

たまに会うといつも、「おまえはいま何やってんだ?」と聞かれた。「経理とか・・・」と言葉を濁すと、「そんなの週1回で十分だろう。あいつも社員として雇ったからには、おまえの仕事をちゃんと作らなきゃだめじゃないか、な?」と気にかけてくれた。だらしがないミスはきつく叱るが決してあとは引かない。よくできたときには真っ当に褒め、部下のやる気を引き出す。ときに理不尽なわがままを言うこともあったが、ボスとしては最高の人だったのである。

私の中で根岸さんに対して小さなトゲのようなものが芽生えたのは、退社後かなり後になってからである。ある人から私の知らなかった事実を知らされた。本当に私はお目出度かった。世の中は私が思うようには単純ではなかったということだ。根岸さんから最後にもらったFAXの文面をまだ覚えている。「イズミ、子供は?」。私が年賀状で「今年、ママになります」と報告したのを受けて、その夏に彼が送ってきたのだ。まだちょっと怒っていた私は、「流産しました」と事実だけそっけなく返したような気がする。

以降、疎遠になった。でも、在職期間お世話になったことは事実だし、別に私は根岸さんが嫌いなわけじゃないのだ。彼の会社は業務拡大とともに引っ越し、ダーは近くに行く度に顔を出していたらしいが、私は一度も行ったことがなかった。御無沙汰するにもほどがある。「会いに行かなくちゃ」。あるときから気になって仕方なくて、来週こそ電話をしようと決めた2006年6月2日、私は足を折って外出ができなくなった。訪問は、また先延ばしになった。

そして約10日後の13日、訃報が届いたのである。信じられなかった。どれだけ後悔しても、もう遅かった。

「なんでそんな足で行くの? お願いだからやめてちょうだい」と懇願する母を振り切って翌々日の告別式に参加した。ダーに車椅子を押されての参列である。もうこれまでに泣きすぎていて涙は一滴も出ず(このとき、涙が涸れるというのは本当なんだと知った)、私は会場で遺影を睨み付けていた。会社の幹部数名以外には誰にも知らせずに逝った根岸さん。「自分はポリシーを貫いて、最後まで格好良く生きたかも知れないけど、遺された者の身にもなれ!」。ひと目、会いたかったのに。何人の人がそんな思いで訃報を受け取っただろう。

彼の自慢の息子たちはもうそれぞれに所帯を持つほどに成長しており、時の流れを感じた。女の子のお孫さんを指さしてダーは「根岸さんそっくり」とおかしがった。

坊さんの読経もなく、会場には根岸さんが好きだったオフコースが流れる静かな無宗教葬だった。生前親しかった人の弔辞だけがあり、中でも彼の元部下の言葉が泣かせた。“ふたりでよくこういう場にも出席しましたね。そのとき私が、「なんであの人、来てないんですかね?」と言ったら、根岸さん、あなたは言いました。「来る人は来る人の気持ち、来ない人は来ない人の気持ち!」”あまりにも、らしいエピソード。そう、根岸さんは決して他人を非難するということをしない人だった。

ダーに呼ばれ、棺を前に最後のお別れをした。すっかりおじいさんになった顔を見た瞬間、すべてのわだかまりが崩壊した。手を合わせ、号泣した。出てきた言葉はただ、「ありがとうございました」。それしか無かった。

帰路、車の中でダーは、「葬儀場と火葬場が近い施設を選んだのも、来る人の都合を考えてのこと。無宗教葬も含め、ぜんぶ根岸さんからのメッセージだ」と言った。

時が経つにつれ、いろいろな事実が符合したり、また思い出されたりした。

亡くなる直前の5月下旬。私はどうしても息子の目についてのセカンドオピニオンが欲しくなり、これまで行ったことのない某大学病院に、なかば無理矢理ダーと息子を連れて行ったのだが、私はそこで急に具合が悪くなり、原因不明の熱を出したのだ。根岸さんがちょうどそのとき、そこに入院していたということはあとから知った。

それから葬儀に使われていた遺影の件。一緒に働いていたとき、いつものように根岸さんと飲んでいた晩、余っているフィルムで私がふざけて写真を撮ったことがあった。後日プリントを根岸さんに渡したら、「お、この写真いいな! よし、遺影にしよう! 決めた!」と言って、せっかちな彼はその場でチョキチョキ鋏を入れ始めたのである。ビール片手に破顔一笑。あの写真はまぎれもなく、私が撮ったものだ。冗談がまさか本当になるなんて。

私たちは本当にいい関係だった。敢えて定義するなら単なる「飲み友達」だけど、お酒を飲む人ならわかるだろう。いつ会っても、互いに機嫌良く、気も遣わず、楽しく杯を酌み交わせる相手って、実はそんなにいないのだ。

根岸さんが亡くなってからちょうど一年。逝去直後は何度も感じた彼の気配を、哀しいことに今ではほとんど感じることはなくなった。もう天国で、いい飲み仲間に出会えたのかもしれない。でも絶対、彼は私が来るのを心待ちにしているだろうなという気がしている。