コトノハマニア

言葉を紡いで生きていく

2008/6/25(水)

ほら私だけじゃなかったのだ。

園からの帰り道、新聞を買うためにカズと寄ったセブンで。いつもよくしてくれる近所のおばさん(以降Iさん)に挨拶をしたら話しかけられた。

「あのー、うちの隣の赤ちゃん、よく泣くでしょう? いろいろと言ってくる人がいるのよね、悪いほうに考えて心配している人とか、うるさいって言う人とか・・・。でも私たちとじゃ、年齢も離れているし、今の若い人の育児はよくわからないから・・・。あなたは若いし、どう思ってらっしゃるか一度聞こうとずっと思っていて・・・」という話。どうやら、これまで私が散々文句を言ってきた家は、すでに近所中の噂になっているようだ。やっぱりねー。あの泣き方は尋常じゃないと、誰だって思うさ、特に子どもを育てたことがある人なら。

近所で一番古くから住んでいる彼女のところには様々な声が集まってくるらしい。泣き過ぎて声が枯れているのよ!等、わざわざそのことで電話をかけてきた人もいるんだって(別に彼女の家のことじゃないのに、電話かけてこられても困るだろうに、笑)。実は、うちの声もよく聞こえているらしいのだが、いつもお母さんと子どもでケラケラ楽しそうに笑っている声ばかりが聞こえる、あまりに違いすぎると。 

すべてうなずきながらひと通り話を聞いたあと、「いや、私は42歳なんで決して若くはないんですけど。でもあのお母さんも35歳くらいでそんなに若くないですよ」と前置きをした上で私は話し始めた。

自分はもともと音に神経質なので、日々とてもうるさく感じている。最初は確かに(Iさんの)旦那さんの仰るとおり、「赤ちゃんは泣くものだから」と思おうとした。でも、もう赤ちゃんという年齢じゃないし! その後も、お母さんが耳が聞こえないのかしらとか、子どもにも個性があるからとか、はたまた情緒的な障害があるのではないかと思って我慢してきたけれど、どうも違うみたいだ。私が一番気になるのは、子どもがあんなふうに泣き叫び続けていても、なだめるとか叱るとか、お母さんの反応が一切聞こえてこないこと。そのほうが気になる。あれは完全に、子どもが要求を叶えられていない泣き方だもの。だから道で会ったときには、何か変わったことが起きていないかを注意深く観察することが必要かなと思っている、近所に住む者として。私は自分がいつ、あのうるささにキレてしまうか、それが本気で心配なんです、と答えた。

Iさんの娘は現役保育士さんなのだそう。その娘さんいわく、「最近、そういう子が増えてきている」と。確かにそうだ。スーパーなんかでも、みんながびっくりして注目してしまうほどの泣き方をして泣きやまない子がいるものね、結構。

それにしてもバカだよねぇ。いいトシしてさ。あの夫婦。どうやら隣のIさんちにも引っ越しの挨拶をしていないようなのだ。誰も彼らのことをよく知らない。だから噂だけが一人歩きする。だいたい、こんな住宅密集地にタワーみたいな3.5階建をたてる神経自体信じられないのに、今朝も噂の息子の号泣に交って、ポロンポロンとピアノの音が聞こえてきて思わず時計を見てしまったよ(なんと7時! 弾いているのは母親ではなく上の娘かもしれないが)。

「村社会」の恐ろしさを知らないな~。私の大好きな映画、『ドッグヴィル』みたいに、一見親切に見える村民は実はよそ者に冷たいし、いつ牙をむくかわかんないのよ~。だから私も、近所に仲良く話せるおばさんはたくさんいるが、今でも全然気を抜いてない(愛想をよくするとか、おべっかを言うとかではなく、周囲に不快感を与えないように気をつけて暮らすということです)。隣のSさんは、うちの葉っぱが散らばり、恐縮して掃除する私に「いいのよ、気にしなくったって。お互いさまなんだから」と言ってくれたが、そういう精神がないと、この狭い路地での近所づきあいなんて、うまくやれるわけないんだよ!!!

そういえば今朝、私とカズが抱えきれなくてゴミ収集場に行くまでに落とした枝を、2軒隣の家のおじさんが出勤途中に拾って捨ててくれていた。家に戻る途中で気づいて、すれ違いざまに「あ! ありがとうございます!」と言った。この人も比較的新しい人だけれど、毎朝の挨拶に加え、たわいもない世間話ができるだけで、印象が全然違うもの。

夕食は、余り物。カズは餃子、私はチクワと舞茸の卵とじ丼。安っ。でも、美味でした。