コトノハマニア

言葉を紡いで生きていく

お朔日(ついたち)参り、100回目達成☆お願いの仕方を間違えると、とんでもないことになりますよ~

「お金が欲しい」と祈ってたら手には入ったけど、、、

趣味と言える趣味が無く、仕事してる時と妊娠中と入院中以外は、酒ばかり飲んで無駄に時間を過ごしていた私ですが、ここ8年ほど、ずっと継続してきたことがあります。

それは、毎月1日のお朔日(ついたち)参り。

f:id:kotonohamania:20191001174544j:plain

2011年7月に東京から福岡に越してきて、その月を第1回目として、数えてみたら今日でちょうど100回目を迎えました。当然、雨の日や仕事が忙しくてジャスト1日に行けない日もありましたが、遅くとも7日までには、毎月一度、土地の神様に御礼とご挨拶をしに行っているわけです。

あ、正確に言うと、最初は、ただお願いごとをしに行ってました。

親戚も友人もいない見ず知らずの土地での母子3人での生活。当然、職なし。子どもが生まれてから、家賃こそ元夫が払ってくれていましたが、ワケあって生活費はずっと私が稼いできたので、まずお願いしたのは、「毎月ウン十万稼げますように!」

日々無事過ごせている御礼をひとことも言わず、ただこれだけを毎月祈りに行ってました。

ちなみにお朔日参りの本来の由来は、「神様に無事に過ごせた1ヵ月への感謝を捧げ、新しい月の無病息災・家内安全等を祈念する」ものだそうです(いま調べて初めて知りました汗)。

www.shirayama.or.jp

oomiwa.or.jp

www.miyajidake.or.jp

毎月1日にしか販売されない限定の「朔日餅」を求めて、伊勢神宮の朔日参りは早朝からすごい賑わいを見せるようですね。

静岡浅間神社では、毎月1日に「月次祭(つきなみさい)」を行うようです。併せて地元の商店街などが賑わうようです。

www.shizuokasengen.net

「願いごと叶うけど代わりに取られるって言うよ」

私の好きな神社は、全国的にも有名な神社の同じ山の中にひっそりとあって地元の人でもあまり知る人はいないのですが、そこはお稲荷さんなんですね。

静謐として凛とした佇まいがとにかく大好きで大好きで(まさに惚れ込んだ感じ)、毎回、有名神社を通り過ぎて、そこを第一に詣でてました。さすがに有名神社を無視するわけにもいかないので、まずお稲荷さんに行ってから、その帰りに挨拶をします。

毎月行くものだから神社を守るおじいさんとも仲良くなって色々話をしたら、「ここは地形がちょうど箕(み)みたいになってるから土地のパワーが溜まっている。お百度参りして願いが叶った人もたくさんいる」と教えてくれました。箕というのは、米などの穀物をふるって、殻やごみをふり分けるための昔の農具。片側が注ぎ口みたいに開いているでっかい籠みたいなものです。

うわー、「なんか好き!」と思ってたカンは間違ってなかったわ~やっぱパワースポットだったのか~なんて単純に喜んでいたのですが。

ある時、抗がん剤の副作用のしびれを治すために通っていた民間療法の先生にその話をしたら、その人、ちょっと不思議な力を持っている女性なんですが、「お狐さんにお願いすると、叶えてくれた分、その代わりを取られるっていうよ」って言われたんです。

えーっっっ!!!???そうなの!?

f:id:kotonohamania:20191001175905j:plain

そ、そ、そういえば!!!

私がその時、がん保険で毎月得ていたお金は、「私が毎月ひたすら欲しいとお願いしていた金額」とほぼ同じだったのです、、、

景気が悪い中、元夫が高額なアフラックのがん保険を解約せずにいてくれたことと、私がたまたま乳がん発覚の半年前に胃がん検診でひっかかって、がん保険のオプションを付けたばかりだったので(そう考えるとこれもラッキーなんですが)、すごい金額が毎月、入ってきてたわけです。そうまさに私たちは当時、保険で食べていたのです。私が入院するたびに東京から着ていた夫の渡航費もそれで捻出していました。

それに当時、仕事も育児も完全ワンオペでこなしていた私の内なる願いは、「休みたい」「ゆっくりしたい」だったのです。それも病気になることで叶えられた。つまり、私の願いは全部が叶えられたわけです。

「健康」であることなんて当たり前で、一度も祈ったことありませんでした。そして、神様への感謝もひとこともなく、ただひたすら「金が欲しい」と祈っていたなんて、今考えると失礼すぎて足が震えます。。。

神様とかスピリチュアルとか関係なく、脳の働きとしてそういうのは実際にあるそうで、梯谷幸司さんの『なぜかうまくいく人のすごい無意識』にも同じような事例が書いてありました。昔、思考の現実化や引き寄せ等が流行していた頃、お金が欲しいからと札束をずっとイメージしていたり、札束の写真を待ち受け画面にしていた人が事故や火災に見舞われ、保険金や見舞金を手に入れたという話。著者自身も多忙のため休みたいと考えていたら実際に病気になったと・・・。「潜在意識は手っ取り早く現実化する」のだそうです。「ほらお金持ってきたよ」「ほら休みなさいよ」と。

f:id:kotonohamania:20191001175852j:plain

まずは御礼を。願いごとはそれからだ

それからというもの、神社に行って何かをお願いするのはやめました。毎月、行くお朔日参りでも手を合わせて言うのは、「先月もおかげさまで無事に過ごせました、ありがとうございました。今月もどうぞよろしくお願いいたします」だけです。

これ、本来のお朔日参り、そのものですね!

神社にお参りする時だけじゃなく、私はすべてにおいて、感謝が足りなかった。長い年月をかけて、神様は私に大切なことを教えてくれたのかもしれません。

他にも、「参道の真ん中は神様が通る場所なので、参拝する時は端を歩く」とか「禊として必ず手水してからとか参る」とか参拝には色々作法がありますよね。理由はわかりませんが、茶色いお金をお賽銭としてあげてはいけないという話も聞いたことがあります。

もちろん神様はそんな細かいことでは怒らないという説もありますが、神聖な場所であることは間違いないので、最低限、失礼のないようにマナーを守って振る舞いたいですよね。あとはもちろん、お願いごとの仕方も!まぁ私のように図々しくお願いごとだけする人はあんまりいないかもしれませんが、、、

最近は御朱印ブームで神社へ行く人が増えているそうなので、ちょっと気になって書きました。あなたのお祈りが「よい形で」叶うことを心から祈っています!